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1996年6月号
written by 来素果森

ロケットスタートを公言する愚かさだけではなく。その(1)

 枕元にくつしたを吊るしたり、短冊に願い事を書いて竹に飾ったりはしているのかもしれない。しかし、それだけでは自分の目指している野球が出来るわけではない…という事は60歳になったらもう理解するべきだ。圧倒的な戦力を持ちながら巨人が阪神と激しい最下位争いを繰りひろげているのは、誰が見ても長嶋監督をはじめとした首脳陣の責任である事は明かだろう。去年最下位で、今年もやや戦力が劣ると見られる阪神戦を開幕15試合中6試合も組んでもらい、最近の巨人が優勝する唯一のパターンである開幕ダッシュが出来るような日程をつくってもらったにもかかわらずのこのていたらくは情けないの一言につきる。なぜこんな事になってしまったのか、巨人の戦いぶりを子細に検討するとなるほど弱いチームの特徴が見えてくる。今回はそれをゲームを振り返りながら考えていってみようと思う。

 去年、銭ゲバ方式で選手を穫りまくり、結果としてランナーが出てもバッターの一発が頼りという全く動けない打線を組むハメになり30億円をドブに捨てたとファンや評論家に笑いものになった事は長嶋もまだ覚えていると思うのだが、そこから得られるはずだった教訓”打線というものは一番には一番の、二番には二番のそれぞれ役割りがあり、全員が強打するだけでは有効に打線が機能しない”は勉強しそこなったようだ。4月14日、横浜に三タテ6─0と大きくリードされた7回の表、吉村の犠牲フライで1点返してなおツーアウト一塁で打席に入ったのはルーキーの仁志。この回から登板した島田は調子が悪くてアップアップの状態で、仁志に対してもストライクがなかなか入らず1─3。ところが、次の高めのボール気味の球に手を出した仁志の打球は浅いレフトフライ。結果論ではなく、ここは待つべきだった。まず出塁し、何とか好調のクリーンアップにつなごう、と考えるべきだった。野球選手の値打ちは、必ずしも一発の豪打、快打でのみ計られるものではない。ひとつのボールを見逃す事もまた大きなポイントである。余談だが昨年散々トラブルを起こしたあげくに無断でアメリカに帰ってしまった元ダイエーのミッチェルが、人間的にはともかくグラウンドの上では超一流である事を証明したのは開幕の対西武戦、初回の初打席満塁ホームランではなく延長10回の表、ランナー二人置いての一打勝ち越しの場面での潮崎の完璧なシンカーを選んでフォアボールを得た事であった。何回も対戦した日本人選手でも間違いなく手が出てしまうだろうと思われるほどいいコーナーに決まったストライクからボールになるシンカーを、どっしりと構えて見送って一塁に歩いたミッチェルは、正に”本物(ほんもの)”だった。流石に大リーグでホームランキングを穫り、高打率を残す選手は違う、という事をむしろこちらで見せつけてくれた。もしシーズン通して在籍したら本塁打・打点王はおろか打率も含めて三冠王まで手が届いていたのではないか。

 話がそれた。仁志があの球に手を出したのは、首脳陣が仁志に果たすべき役割をしっかり伝えてなかったからなのではないだろうか。開幕戦こそ三本のヒットを打って、”全日本の三番打者”にふさわしい、華々しい活躍をした仁志だが、その後は鳴かず飛ばずで4月が終わって打点ゼロで打率も二割を切り、ベンチを暖める日が多くなっている。これは私の見るところ、首脳陣が彼に自分を生かすすべをしっかり教えこんでないからのように思える。雄大なフォームからポップフライばかり打ち上げてる昨今は、背番号の前任者を思い出すが、本質的にはアッパースイングのためポップフライが多かった前任者とは理由が違う。仁志は単にボールに対して力負けしているだけなのである。典型的な金属バットシンドロームと言ってもよいだろう。プロ野球界ではかなり小柄な部類に入る173?・75?のその体格は、同じリーグのレギュラークラスでいうとヤクルトでは城・飯田、広島では正田(172?)、横浜では進藤・石井(174?)・波留(172?)、中日で種田・立浪、阪神で和田・石嶺(174?)。元来が捕手で足も速くない石嶺は少しタイプが違うが、ほとんど全員がいわゆる軽打者タイプで、シングルヒットの延長が長打になる事もあるタイプである。仁志が目指すべき道もそうなのではないだろうか。それがわかっていないで、本人が強打者のつもりでいるから状況を考えずに何でも手を出してしまうのだろう。首脳陣による教育がまっとうになされていない例である。これではいつまでたっても打線として機能しないし、本人のためにもならない。弱いチームの特徴のひとつである、それぞれがチームの勝利という共通の目的のために何をすればいいかがわかっていない典型的な例であったといってもいいだろう。

 リリーフ陣の無残ぶりは多言を要すまい。石毛・木田・小原沢・西山といった投手らが、故障でもないのにそろいもそろってメッタ打ちに合っているのはもちろん本人たちの不調もあろうが、それだけで結論づけられるものでもない。順に検討していくと、まず石毛は首脳陣のデタラメな調整の指示、ダイエット命令が復調を妨げた最大の理由だと思われる。去年の後半は、なるほど打ち込まれもしたがまだまだいいタマもあり、頭のいいキャッチャーが受ければ生かせる、と思わせるような投球ぶりであった。ところが、今年はまるでダメな投手になってしまった。あれでは古田や伊東が受けても厳しいだろう。ストレートは棒球になり、スライダーは切れなくなった。外からはわからない不調部分があるのかもしれないが、少なくともダイエットが彼のピッチングの益になった部分は皆無と断言してよい。大体、運動不足や中年太りじゃあるまいし、しじゅう運動しているプロ野球選手がそんなにムダ肉にまみれるワケがない。半年かけて体重を減らした結果が打ち込まれ、開幕早々の二軍落ちでは本人も浮かばれまい。石毛がすべき、また教えられるべきは”経験を生かした投球術の取得”だった。若い時に球威を武器にストッパーとしてデビューした投手が、長く生きるために必要なのはこれ以上にはない、と言ってもいいものなのだから。

 精密とは言えないけれどソコソコのコントロールを持ち、球威もあり、キメ球としてのフォークボールもかなりの切れ味がある木田。そのタマを見ているととうてい毎年6〜7勝しか出来ない投手には思えない。まあ、それなりの理由はあるのだがそれは今回は置くとして、本質的にはリリーフ投手向きではない。性格的な弱さもそうだが、彼の投球フォームを思い出して欲しい。腰をぐっと沈めて下半身のバネを最大限に使って投げるそのフォームは、他の投手よりも下半身に負担が大きく、疲労がたまりやすい。下半身が使えなくなると、強い上半身に頼った手投げになり、コントロールも球の伸びも格段にレベルが落ちる。上半身が棒立ちになり、とんでもない所へ球をたたきつけて暴投になる彼のピッチングを覚えている人も多いだろう。あれがそうである。だから彼を生かすには間を十分取って、常にベストの状態で投げさせるべきなのだ。明らかな先発完投タイプであり、ストッパー向きではない。便利屋的な使い方には向かないのだ。

 誌面が尽きてきた。小原沢と西山については次号で。   (この項続く)

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