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1995年10月号
written by 来素果森

初歩的マスコミ論。いいんですか、それで?(1)

 以前にも取り上げた事があるが、野球にかかわるスポーツマスコミの中では比較的中立かつ質の高い情報を提供してくれる「週刊ベースボール」のなかの黒眉(笑)、新ON狂時代! の最近の内容には目を覆う…いやちがった、目を見張るものがある。たとえば8月21・28日合併号の第35回では、現在苦境のどん底にあるジャイアンツに奇跡を起こすには”長嶋のオーラ”が必要だとし、元コーチの中畑と去年引退した篠塚に次のように提案させる。
中畑「…長嶋さんが動くことで、選手が持てる力を出してしまうんだ。でも、いまのミスターは、どっかとベンチの奥に座っているんだよね。だから選手が乗れないでいる。動き始めたら、面白いよ」
篠塚「ベンチは2列になっているでしょ。前の方にいて立っているときって、すごい勝率だと思うよ…」

 流石にプロ野球経験者は素人には考えもつかないような素晴しいアイディアを持っているものである。遅ればせながら----正にいまごろになってやっと長嶋の本質的な意味での監督としての能力の無さが誰の口からも語られるようになってきているこの時期でさえ、こういう意見が出てくるのだから。篠塚説のこの後は、ところが今年は長嶋は奥の方にいる(からダメなのだ)、前に出てきて欲しい、というものである。実は基本的には筆者もこの意見には賛成で、長嶋が現在定位置としているベンチ奥から前に出て来たほうが巨人の勝率はUPすると思う。ただし篠塚説とはほんのわずかの違いがあって、彼は大体一メートル位の前進を考えているようだが、筆者は大体一キロメートル位の前進がベストだと思う。球場から出てしまうって? その通りである(笑)。勝利のためにはやむを得まい。

 冗談はともかく元コーチの中畑はベンチにいた時はどのようなコーチングをしていたのであろうか。試合中のバッティングコーチの役割は、普通は自軍の打者に相手バッテリーの配球の傾向を教えたり、狙いダマを指示したり、ちょっとしたフォームの崩れを直させたりすることなのだが。野村が以前バッティングコーチの仕事について、たとえば無死二・三塁のチャンスに勇んでバッターボックスへ向かう打者を呼びとめ”初球はカーブで入ってくる事が多いよ”とひとこと伝える事。そうすると打者はふと我にかえり、冷静に攻略法を考えられるようになるものだ…と言った事がある。やみくもに打つぞ〜とイレ込むだけではそうそういい結果は期待できない。そのような状態のバッターにひとこと伝える事により、それぞれ「よし、あの投手のカーブは打ちにくそうなので初球は見て、ストレート系にマトを絞ろう」とか「初球のカーブはわざとタイミングが合わないような空振りをして、決め球にもう一回投げてきたところを狙おう」といったような目的意識をしっかり持った上での集中力を出せるようになる。それをするのがバッティングコーチの役割である。もちろん、その時に打席に向かうのがまだ右も左もわからないような新人だったら「カーブを狙ってけ」といったような具体的指示を出さねばならない時もある。要するに、自軍の選手の能力や性格、試合の流れ、相手バッテリーの攻めの傾向など全てがわかっていなければ適切な指示が出せずにつとまらない仕事である。なるほど、去年散々マスコミで取り沙汰された、主力選手たちに徹底的にバカにされていた中畑コーチ、というのは本当だったんだなあというのがよくわかる。こういう次元でしかものが考えられないヒトがコーチ業をこなせるわけがない。去年の巨人は優勝したにもかかわらず打撃コーチが責任を取ってやめる。という珍しい光景が見られたが、こういう発言を聞くとなるほど納得がいってしまう。やはり人間には向き不向きがあるのだ。もっとも彼の場合、コーチになる前のTV解説者の時代からその片鱗? は明らかであったと思うが。おそらくベンチでもあの調子で、監督が気分がよくなるようなたわ言を並べてベンチのムードメーカーを自認していたのだろう。多分善意で。選手たちには”肝心な能力はなにもない、おべっか使いのゴマスリ野郎”と見られていた事もよく理解出来ずに。今年は幸いにして故障のため二軍にいるが、去年、ほぼシーズンを通してベンチ入りしていたあのヒト(笑)の監督重用を、それこそクビをかけてでもおさえる事が出来たら、能力はともかく人望すら失う事はなかったろう。あわれな事である。自業自得といえばその通りなのであるが。

 彼らのことはさておいて、この新ON狂時代・第35回の内容のあまりの下らなさに、同じ雑誌からも反論が出てきた。9月11日号の豊田泰光の「オレが許さん!」である。ここでは懇切丁寧に長嶋のメイクドラマがいかに根拠がなく奇跡を求めるのが無意味であるか、そしてそのような何の能力もない長嶋批判をなぜ評論家がしないか、が書いてある。負けが込んできてからならともかく、去年のかなり早い時期から長嶋の監督としての無能さを指摘してきたこの私を忘れているのはけしからんが(笑)、けだしもっともである。(誤解されると困るので一応書いておくが、この連載のはじまりのほうを読んでもらえるとわかるが、小生は長嶋監督長期充電後の再登場時には大変期待もしていたし好意的だったのだ。あれだけのスターが一度現場を離れ、どんな勉強をしてきたか注目していた。ところが…今では日本のプロ野球をダメにするのはこの男だろう、と思っている。今からでも反省して真の監督業の勉強をするなら別だが。)仮にも評論家を名乗るものや雑誌というメディアで論を張るものには、やはり最低限確保していないといけないレベルはあり、どんな素人が見ても野村や三村と長嶋を監督として比べて見たら極端に差があるのはわかるのに、それでも長嶋を持ち上げるというのはどういう神経なんだろうか。そんな事もわからないほどレベルが低いんだろうか。否、違うだろう。おまんまのためなんだろう。これについてはいずれ一度くわしく取り上げるので今回はこれ以上書かないが、恥は知ってほしいものである。

 恥、で思い出したついでに書いておくが、巨人の某投手の奥さんの過去をほじくりかえして書きたてて商売をしているライターやレポーター・メディアの皆さん、あなた方は子供の時から大人になったらクズになるんだ、と夢見て育ったんですか。夢がかなってよかったですね。この国は”どんな仕事をしているか”ではなく”どこで仕事をしているか”のほうが大きいウエートで語られる、世界的にみて珍しい価値観の国ですが、どんなにメジャーなフィールドを仕事場としている人であっても、これらの人々を小生はクズでありダニであると評価するのでよろしくお願いします。たまたま球場とかで出くわしても話しかけてこないように。不愉快なので。

 テーマが少しずれてしまった。しかし、新ON狂時代を書いている人にもクズの方々にも言いたいのは、言い古された事かもしれないが、”自分の良心に照らしあわせて、良識持って書こうよ”と言う事である。書正論には興味ないが、最低これだけは…という部分はやはり必要だと思う。スタンスは当然様々だとしても。          (この項つづく)

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