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2000年1月号
written by 来素果森

けらいのひとりもいない王様


 まず最初に、11月号での呼びかけに応えてくれた方に感謝の意を表させていただきます。「〜だと思います」という謙虚な方から、「この名を覚えとけ!」という強気な人まで論調も様々なたくさんのお手紙、ありがとうございました。どなたが正解(又は正解に一番近い)か、はこのコラムの一番最後のところで。もちろん、筆者(来素)の主観である事は言うまでもありませんが。

 さて問題の『なぜ、某オーナーはこれほどまでにオリンピックに協力する事に反対するか』である。11月号にも書いた事だが、もし日本のドリームチームをつくるとしたら、巨人からは少なくとも松井・高橋・上原・江藤の四人(笑)は間違いなく選ばれ、世界にアピール出来ると思う。ペナントと平行して行なわれたら打撃、というのだったらペナントを中断、もしくは開幕を二週間くり上げれば済むだけの事である。今年3月31日の開幕が、3月17日の開幕になって何の不都合があるだろう。又は、オリンピックイヤーに限ってはオールスターの日程を変更、もしくは中止するというのは極論に過ぎるだろうか(もちろんオールスター戦の収入をベースとした選手の年金の問題等は別に考えるとして)。現在のような、ふぬけた”夢の休宴”を3試合も見せられるよりも、真に選び抜かれた男たちが世界を相手に真剣勝負を挑む戦いが観たい、と思うのは別に不思議な事でも何ともないと思うがどうだろう。要するに、日程の問題などというのは中学一年生程度の頭脳があれば解決できるぐらいの問題でしかないのだ。いくらでも選択肢はあるし、やってみてどうしても不具合が生じたら次回のオリンピックの時までに手直しすればいいだけのことなのだから。ノープロブレム、である。

 世論の冷たい視線を意識してか、某オーナーはますますヒステリックになり、最早正常な人間の範疇を越え、遠い世界の人間のようである。世界で最大部数を発行している事だけがウリの某新聞の社説欄まで使っての我田引水丸出し主張はそのレベルの低さで誰にも相手にされず、オリンピックへの積極的な参加を訴える西武(これはこれでウラもあって”よくぞ言った”と素直に手放しで絶賛する気にはとうていなれないのだが)に対しては「世界選手権を争うのなら分かるが、オリンピックに出場するとは野球協約に書いていない。協約を守れない球団は(プロ野球機構から)出て行けばいい!」との暴言…というのか寝言。例えばオリンピックとは別に、ワールドカップにあたるような世界選手権が野球の世界にもある・又は近い将来実現するなら千歩ゆずってともかく、そのような動きも実現性も全くない現在、こういう発言が出てくる理由が筆者には全くわからない。なにもない以上、日本の野球が世界に出ていく場としてはオリンピックしかないではないか。まさか、シーズンオフに一部のメジャーリーガーが日本に遠足に来て、広場で球あそびをして帰る行為に--昔ならいざ知らず20世紀も残り少なくなった現在--「日米決戦」とか「世界一を争う」といった意味合いを感じている訳ではまさかあるまい。善かれ悪しかれ、道山がシャープ兄弟を倒す事をもって日本が亜米利加に勝利したかの如き幻想を持てる時代ではもうないのだから。(注・このあたり伏線。ただし活きるのはだいぶ先)

 結論を急ごう。某オーナーがこれほどまでにヒステリックにオリンピックへの全面参加を拒むのは、ズバリ『読売がつくり上げてきた日本のプロ野球の特殊価値体系(価値観や収奪関係などもろもろの概念や観念含む。イコール文化、と言ってもよい)を崩しかねない危険性があるから』なのである。言いかえると、先進国におけるグローバルスタンダード(世界標準。ここでは先進国において普遍的とされている民主主義・人権尊重を指すとする)の浸透を拒もうとする発展途上国の首長のイラ立ちと怒り、と言ってもよいだろう。ちょっと漠然としているので詳説すると、今まで、島国日本のプロ野球村は、権力者で村長のナベツネ太郎(略称ナベツネ・以下同)の独裁下にあった。ナベツネにとって少なくともその村の中でできない事はなかったと言ってよい。12人の村の人々の目標はただひとつ、いかに他の11人よりも多くの米をつくるかが目標である。しかしその競争(ルール)の条件は極めていびつで、毎年新しく開墾される田は一番カネを出せるものが一番よい田を買えるようになっており、更に、たくさん米が獲れた優秀な田も、金を積めば買える制度もあった。絶対量として米を多く獲る事より、相対的に米を多く獲れば勝者なので、金持ちは他人の田を買いとって、その田を耕さない時まであった。そんなメチャクチャなルールだったが、村の人々の民度は低く、人権に目覚めるよりは村長さまの出すゴミをあさって生きる事のほうが得に思われたので、村を出ていく人はいたが、村の体制はいつまでもよくならなかった。どころか、ちっぽけな村で誰にも批判されない事によっておごり高ぶったナベツネがますます強欲さを発揮する事によって村の体制はどんどん時代に逆行し、むしろ悪くなっていった。他の国の、村のみんながひとつの運命共同体として、助けあって全員幸せになっていく…というような話も伝わってはくるものの、ナベツネはこの思想を固く取り締まり、村人にはこの話はまるで夢物語にしか聞こえなかった。

 そんな時、黒船がやって来た。

 黒船は、いろいろな物や考えを持って来たが、何よりも村人たちを驚かせたのは、村が村の中でお互いに競い合う、その事自体とは違った価値観、すなわち、村全体のパワーで世界と戦う事もまた素晴らしい事であり、しかも両者は決して矛盾しないという事だった。現に世界で野球村よりはるかに沢山あるサッカー村の人々は、それぞれの村の中での競い合いに加え”おりんぴっく”と”わーるどかっぷ”という2つの世界を舞台にした戦いがあり、より大きなスケールで成立している。野球村の人にとっては、うらやましいことばかりだった。

 しかも、同じ島国日本にあるサッカー村は、野球村よりずっと後に出来たにもかかわらず、黒船の考えをはやくからとり入れ、世界に向けての歩みを着々と進めていた。若い衆中心のおりんぴっくでは世界の強豪相手に二位に入る善戦、わーるどかっぷにも初出場、と着々とステップアップしていった。いつまでたっても”めじゃーりーぐ”と戦う立場にすら立てない野球村との違いは開く一方だった。

 「このままで、いいんだろうか。」野球村の人達は考えはじめた。「いままで、村長のおこぼれをいかに沢山拾うかだけを考えてきたけど、本当にそれでいいんだろうか」「足の引っ張り合いや、相対的に強くあろうとする事で満足してきたけれど、実は世界に対して、絶対的に強くなるような方向で考えていかないと、これからやっていけないのではないだろうか」

 いずれもナベツネにとっては都合が悪く、彼の村の運営をゆるがすような考えばかり。しかし、筋道だった反論や論理的な説得はとうてい出来ず、彼はただヒステリーを起こす事しか出来なかった。

 御免、「続く」だ。

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