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1999年5月号
written by 来素果森

スパイ事件についてその(4)


 さて、3回にわたってスパイ騒動の事を取り上げてきたが、通して読んでいただけた方には今回の騒ぎの頭の悪さ加減がよくわかってもらえたと思う。スパイ行為と「読み」は全く違うし、物議をかもし出しそうな前者もプロの世界では常識のこと。スパイされるほうが間抜けである。(前回少し触れた乱数表が使用されなくなった理由は、決して道義上の問題〜スパイ行為は卑怯である〜ではなく「時間がかかるから」である。この理由づけ自体が逆にスパイ行為の存在の当然さを立証する)。確かにどこかで線引きする必要性はあるものの、今回程度の問題で大騒ぎする必要は全くない。あの智将・三原監督は敵のベンチに盗聴マイクまで仕掛けていたそうで、これは明らかに球界全体の利益にならない(たとえば去年までのヤクルトで、古田はつねに野村監督の近くにすわり様々な勉強をしてきた。その事が古田の成長に大きく役立った事を否定するものはいないだろう。もし盗聴マイクの存在によりそれが出来なかったとしたら、それは一流の選手の成長を阻害する事であり、球界の不利益である)。線引きするならば、そういった次元での判断が必要だったはずだ。しかしながら…くり返しはやめよう。出来るだけはやく「パ・リーグ監督宣言」などというタワ言が粉砕される事を望む。

 さて、今回の騒動でその珍妙かつこっけいな姿があぶり出されてしまったのは、またしても識者と呼ばれる方々の一部だろう。読み、を高めるための情報収集及びスパイ行為が質量ともにずば抜けて一頭地を抜いていたのはV9時代の巨人であり、長嶋V1もそうであった。それは先月も書いたように全く非難・批判される事ではない。しかし、少なくともプロ野球について論を立てるものは、そういった事実を認識した上で論を立てねば、それはただの世迷い言である。このコーナーは登場二回めになるが、文芸評論家の渡部直己氏の御高説なんかはお気の毒だがこのカテゴリーに入るだろう。今回のスパイ騒動に対して新聞にコメントを求められた氏は、『面白くない野球をみせるチームは存在していても仕方がない。なくてもかまわないと思う。』といったような意味の事をおっしゃっていた。どういう野球をするチームが面白く感じられないか、は観る人によって・また観る人の”野球を観る眼”のレベルによって個人差があり、某プロ野球専門週刊誌の編集長のように「現在の長嶋巨人の低レベルな戦いぶりは日本プロ野球界諸悪の根源」といった見方がすべてとは言えない。ある程度以上野球に詳しい人には、共感できる意見だろうが。ただ残念ながら渡部氏には共感していただけないと思うので、渡部氏がつまらないと思う野球はどういう野球か、御本人の文章から引用させてもらおう。

  (野球が阪神で新たにかかげた)「T・O・P」野球なるスローガンがまた最悪このうえない。文字面だけを追えばこれはなるほど、ヤクルト時代の「ID」野球よりはましである。「記録」だの「情報」だのといったものは、一瞬ごとのプレーの脱け殻にすぎず、そんなものに過度に囚われる者は、セミにも劣る存在であり、ゆえにわたしはことあるごとに、野村克也をいわば「スポーツの天敵」と呼んではばからぬ者であった(中略)この評語に比べるなら、その一部に「過程」(プロセス)の「P」をふくむ今回のスローガンは確かに、それ自体としては優れている。野村「ID」野球のつまらなさを強調するために、わたしや、「記録よりも記憶」なる名言の主・草野進が強調してきたのもまた「スポーツの魅力は結果ではなく過程にある」という命題であったからだ。が、ここから先がまったく違う。わたしや草野進のいう「過程」とは、たとえば、一瞬にして全体の動きを止めてしまう「本塁打」より、グラウンド内を転々とする白球をめぐり、野手と走者の多様な動きを惹起する「三塁打」のほうがはるかに面白い、という観点に要約されるものである。ところが、野村の掲げる「P」はそうした可視的な運動そのものへの全体な否定語たらんとしている(中略)動きのとまった場所で戦われる頭脳戦やら、余人には窺い知れぬその心理的な駆け引き、果ては、練習を通して得られる人格形成などといった事態を指すらしいこの「P」はそこで、われわれ観客にとっては、「ID」以上の犯罪的なものとなるのだ。何が悲しくて、生き生きとした可視の祭典たるスポーツの場で、眼に見えぬもの、動かぬものに関心を持たねばならぬのか!(日本スポーツ出版社「ひまわり」と「月見草」の中のコラム 長嶋に野村を比べるのは何かの間違いである)より

というのが渡部氏の主張である。一見もっともらしい見解であるが、たぶんこれはムーミン谷か第三新東京市のプロ野球の事を語っているのだろう。「記録」と「情報」において相対的に突出していてなされたV9の主力メンバーであり、自らが指揮をとって達成した初優勝時もスパイを最大限に活用した長嶋茂雄もまた氏の見解によると「セミにも劣る存在のスポーツの天敵」となるはずだし、ならねばおかしいのだが、結論においてコペルニクス的転回がなされているのは、やはりわたしたちの知らない世界の野球の事を語っているために違いない。「記録よりも記憶」という耳にやさしいコピーは、野武士・落合の”そんな言葉は大して働けなかった選手の言い訳にすぎない”という忌憚のない意見でお空の星になってしまった。さらに後段に至っては、広沢・清原・石井といったどう考えても三塁打より本塁打が期待される面々を集めている巨人と、捕手だった飯田の脚力を買ってコンバートするなど、現実の指向として本塁打より三塁打だったヤクルト…という誰もが納得するであろう状況を考えると、〜観点に要約されるものである、以降の文章は”だから私や草野進は長嶋巨人野球より野村ヤクルト野球が好きだった”という文章になりそうなものだが、一流の文芸評論家ともなると我々凡人とは頭の構造が違うようだ。正直、疑う。何を?正気を。

 結局、様々な意味で現在この国のもっとも深刻な問題である『集団ヒステリーと知性の欠如、客観的視点の無さ』はこの業界にも及んでいるという事なのだろう。それぞれ自衛するしかあるまい。やっかいな事ではあるが。

 詳しくは次号になってしまうが、一応ペナント予想をしておく。セではヤクルトが面白いと思う。野村遺産は大きいし、投手陣三本柱の強力さは群を抜いている。故障者が多いのは少しひっかかるが。パでは近鉄が今年こそ。選手層の厚さは心強いし、中継ぎ〜ストッパーも強力。ただし大塚が使えないと根底から覆ってしまうが。対抗は中日と西武だろうと思っている。
(この項終わり)

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