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つまらなかった日本シリーズ(2)
今年のオフシーズンほど良いほうでも悪いほうでも話題が多いシーズンはめずらしいのではないか。日米野球・オリックスの三輪田スカウトの痛ましい自殺・ダイエーのスパイ疑惑…とどれをとっても大きな問題ばかりである。月刊誌の悲しさでなかなかタイムリーな対応が出来ないのはつらいところだが、日本シリーズについて書き残した事から進めていこう。
なぜかどこも遠慮してハッキリ書かなかった、東尾・権藤両監督の”親友パフォーマンス”ほど見苦しく、気持ち悪いものはなかった。(豊田泰光氏が少し触れていた程度)。普段の生活において仲がいいのは別に構わないし、第三者が口をはさむ筋合いのものではないのはあたり前だが、セ・パ両リーグの優勝チームの監督という立場はいわば公人。私的な関係を、少なくともあからさまには出さない位の知恵はないものだろうか。それどころか、シリーズがはじまる2日前に担当記者を集めての”お食事会”。『ぼくたちはこんなになかよしです。けど、あしたからはけんえんのなかになります』。流石に横浜や西武ファンの中でもまともな神経の持ち主ならシラけただろう。別に因縁対決を望んでいるわけではないし、むしろ無理矢理そういうムードを盛り上げようとするマスコミにはウンザリだが、これよりはマダましだろう。戦い自体のレベルが低かったのがつまらなかった第一の理由である事は先月も書いた通りだが、このシラける演出も結果として拍車をかけたのも間違いないところだろう。
演出といえば、両監督が先発投手を発表して、実質的に予告先発になってしまったのもこれまた二通りの意味でがっかりさせられた。ひとつは、その事によって戦いのレベルがより低くなったこと。もうひとつは、観客から先発投手を想像させる楽しみを奪ったことである。前者について言えば、予告先発というのはそもそも観客減になやむパが、せめてエースやその人がごひいきの投手が投げる日は球場に脚を運んでもらおう、という事でひねり出した苦肉の策で、野球というスポーツのレベルを低める事はあっても決して高める事はない制度である。なぜ低めるか?。野球は決して個人技だけではなく、チーム+ベンチワークという組織戦の一面を持つスポーツで、相手の先発投手を読む、という行為は本来はベンチが試合がはじまる前にもっとも頭をつかう事である。その本来つかうべき頭をつかわなければ頭が悪くなるのはあたり前ではないか。逆もまた真で、自軍の誰を先発させるか、でも予告先発制度がなければベンチは様々な手を考えられる。古い例で申し訳ないが、広岡監督の時代の西武が阪急(現オリックス)と激しく優勝を争った年のいよいよ天王山の直接対決!! という試合で、とにかく福本(現阪神コーチ)を封じたい、という理由で左のサイドスローの中継ぎ投手・永射を先発に起用する、という奇襲をかけた事があった。この作戦は見事に成功、この年西武は優勝するのだが、緒までも語り草の素晴らしい作戦だった。もちろん単なる思いつきでなく、スコアラーのあげてきたデータと提案を元にしてのものである事は広岡自身が後に述懐しているが、この永射先発をあらかじめ発表しなければならないにのだったら効果半減…どころかそんな作戦自体考えもしなかったろう。間違いなくその当時の先発グループでローテーションの順番の投手か、多少きつい間隔でもエース、といった無難な選択をせざるを得なかっただろう。かくして、相手チームの先発投手の事も自チームのそれも深く考える機会が失われていけば、野球頭脳は退化していく。頭の悪い野球はしょせん、低レベルの野球である。筆者にはパは目先の観客にこだわって野球のレベルを落とし、自分たちの首をしめているような気がしてしょうがない。大体パにしたって予告先発というのは本来は以上のようんば欠点が大きい事は知っているはずで、たとえば日本シリーズにおいてDH制はパの本拠地ゲームでは採用する事を主張し、実現したが予告先発制度についてはそんな動きは全くない。あくまでファンサービスの制度だから、と言いたいのかもしれないがこの予告先発がある意味DH制と同じように野球自体の質を変化させているのは(いい悪いではなく)、オリックスを見れば明らかである。それならば、やはりパの主催ゲームでは長年の観点から予告先発制度の導入を主張するのがスジだろう。それをしないのは、やはりパも必要悪だが仕方なくやっているからだ。現に去年あたりも「せめて優勝争いがはげしくなる9月以降は予告先発はやめよう」という意見が出たほどである。わかっているのである。そんな制度を日本シリーズで導入する東尾・権藤両監督は何を考えているのか。多分、考えてないのであろう。残念だ。
後者においては、書いたその通りである。多少なりとも通な野球ファン同士がシリーズ前に一杯やる機会があれば、先発投手のローテーションは最高の話題である。筆者自身も11月号のこのコーナーで書いた事だが、たとえば横浜で言えば川村なのか野村なのかはたまた斉藤隆か…想像しながらあれこれと思いをめぐらせるその行為すらが楽しい。だが、残念ながら両監督にはこのファンの楽しみにまでは思いが至らなかったようだ。雑誌ナンバー11/19号で両監督が日本シリーズを振りかえっての対談にこんな一節がある。
権藤 ある人に言われたよ。「西口、川村と聞いて、あっと思った。あれは全然発表しない方が、もっと面白かったかもしれないですね」って。言われて初めて気づいた(後略)。
東尾 今回は6戦目までだったけど、予告先発は1,2,3戦ぐらいまでにして、隠した方が面白みがあったかもしれない。球場で発表した時、ワッとどよめきがすごいだろうね。
もっとはやく気が付いて欲しかった(笑)。この対談は通して読むと悲しくなってしまうようなシロモノだが、この部分はわずかながら救いがあった。万が一次の日本シリーズが同じ組み合わせにあるとしたら、この愚行だけはくりかえして欲しくないものである。今のうちから言っておく。
これ以上このテーマを 続けるわけにもいかないので今年の日本シリーズの事はこれで打ち止めにするが、正直、読者の方々の記憶により印象的に残っているのは現在日本シリーズと日米野球のどちらですか? もちろん西武ファン・横浜ファンはシリーズ、と答えるかもしれないがそれ以外の、おそらく多数派であるプロ野球ファンにとって圧倒的に印象的だったのは日米野球のほうではないだろうか。それでは困るのである。くり返すが、日本シリーズというのは日本でもっとも高いレベルでの戦いが期待されるところである。全てのプロ野球、否、野球ファンの視線が注がれる試合である。そこでオープン戦の延長のような戦いが行なわれていたのでは日本の野球全体のお里が知れるだろう。よもや受けまい、と思われていた阪神の監督を受けた野村が日本の球界に感じていた危機感と同じ危機感を筆者も持つ。願わくば、このような事が今後はないように思う。
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