|
|||
つまらなかった日本シリーズ(1) 人は日本シリーズに何を求めるのだろう。もちろん、それぞれのチームのファンは自分のひいきのチームの勝利がまず第一である事は間違いない。特に今年で言えば38年ぶりにペナントを制した横浜のファンにとっては、その願いは特に強かっただろう。その意味では、横浜ファンにとっては満足なシリーズだったかもしれない。しかしながら、それ以外の野球ファンにとって、今年の日本シリーズはどのように映ったのだろうか。残念ながら筆者には、あらゆる面で少なくともここ数年の中でもっとも面白くない日本シリーズだった。もしこれで”38年ぶり”という要素がなかったらどうだったか、という視点で読者の方にも振りかえっていただけたら同意していただける方も多いのではないかと思う。逆に、両チームのファン以外で面白かった、という人にはどこが? と問いたい気分ですらある位だ。これが日本でもっとも強いチームを決める戦いなのか、と思うと何だか情けなかった。 全て先取点をとったチームが勝ち、先行されて一度は追いついたのも第4戦の横浜のみでゲーム中の逆転すら一度もない全体的にのっぺりした試合展開や、6試合のうち半分の3試合は勝った方のチームが前半5回までで7点とってワンサイドゲームになってしまった、という勝敗を競うゲームとしての面白さがきわめて少なかった(それがあったのは4戦と6戦のみだったろう)のも面白くなかった原因だが、それは実は従でしかない。何よりも主たる原因は、両チームの監督が日本シリーズらしい戦い方をしてくれなかった、という点につきるであろう。オープン戦にはオープン戦らしい戦い方があり、ペナントレースにはペナントレースらしい戦い方があるのだが、残念ながら敗れた東尾監督はもちろん、勝った権藤監督にもそういった考え方はなかったようで、単なるペナントレースの延長のような戦いをされた上に凡戦が多かったのだから見応えがなかったのも当然だろう。今更ではあるが日本シリーズというのは、日本でもっともレヴェルの高い野球をプレイしている日本プロ野球界の、それぞれのリーグで135試合も戦った上でのそれぞれの勝者同士が、わずか7試合、先に4勝する事を目標として戦うものである。当然ながらひと試合の重みはペナントのそれとは段違いだし、勝利のために注ぐエネルギーの多さによって密度もきわめて濃くなるはずなのだが、特に東尾西武の準備不足・無策ぶりは情けなかった。第1戦、一回裏横浜の先頭打者石井琢にセーフティバントを決められた場面。正直、さほどいいバントではなかった。球足を十分に殺せておらず、サードの鈴木に備えさえあれば楽に処理できた打球だったはずである。横浜の中で、と言うよりセ・リーグの盗塁王で脚には絶対の自信を持つ石井。ここでアウトにしておけば、後の展開は大きく違ったであろう事は間違いない。更にその後横浜は走りまくって第2戦までに7盗塁を決め、西武の司令塔である伊東をグラウンドから追い出してしまう。一見横浜の積極策が当たったように見えるが、もともと機動力のあるチームとはさほど言えない横浜にこれだけ走られるのはやはり明らかな準備不足。伊東の肩のおとろえなどは当然ながら最初からベンチはわかっていたはずなのだから、石井にはある程度走られても仕方ないにしても、他の者には走らせない準備はしておくべきだった。思い出すのは去年の日本シリーズ。筆者もこの欄で「おそらく西武は脚を使えないだろう」と予想したし、事実そうなったのを憶えていらっしゃる方も多いだろう。そしてそれは決して古田が強肩だからというだけではなく、世界の盗塁王・福本と巨人のV9を支えた森の例をあげ、十分な備えさえあれば盗塁は防げる、という事を書いた。71年の事であるが、この年、福本は67盗塁で2年連続の盗塁王のタイトルを獲り怖いもの知らず。一方の森は晩年近く盗塁阻止率もわずか284。それでも徹底的なマークと投手陣との連携で走らせなかった。シリーズ前に何回も綿密な打ち合わせがあった事は後世まで伝えられている。去年の例にもどると、西武の実質的な指揮官、とも言っていい伊原コーチが西武がなぜ機動力を使えなかったのかを聞かれ「ヤクルトの投手陣はシーズン中とセットに入ってからのインターバルの取り方まで変えてきた。あれには参った」という意味の事を言っている。もちろん、135試合そんな事はできない。ピッチャーの頭もパンクしてしまう。だが、7試合なら出来る。それが日本シリーズの戦い方と準備というものなのだ。東尾西武にはそれがなかった。こんな野球をくり返している限りは、何回日本シリーズに出ても偶然が味方しない限り勝つことはできないだろう。 また、いわゆる『ふだん着野球』が出来なかった事も敗因の大きなひとつであり、また、観る者の興味をそぐ一因だっただろう。誤解を招きやすい言葉だが、『ふだん着野球』というのは決してペナントレースの延長でシリーズを戦う、という事ではない。自分たちがペナントを勝ち抜いてきた型や方法論を信じて戦う、という事である。以前野村現阪神監督が、監督にとっての日本シリーズというのは”はい、私はこういうチームを造ってきました”という品評会のようなものだ、と言った事があるが、その通りだと思う。ID野球が日本シリーズだからといって突然仰木マジックのような野球や管理野球、または特に名称はないが85年阪神のような野球になったらそれではそれまでその監督がより強くあろう、としてやっていた野球はなんなの? という事になってしまうではないか。この点でも東尾監督のとった方法論には疑問がある。第一戦、公式戦で30試合しか出場していないペンパートンを四番に持ってくるというのは理解し難い。相手が左投手なら素晴らしい能力を発揮する、というのならもう少しペナントで出番が多かったろう。逆に言うと、ペナントでその位しか出場機会がなかった選手に四番がつとまるワケはない。第一戦で彼のバットから快音が聞かれなかったのは当然といえば当然だろう。去年の日本シリーズの山田をスタメンに起用し、恥をかいたのをもう忘れたのだろうか。セオリーに基づいた奇襲は時には効果的だが、セオリーに基づかない奇襲はやはりよほどの偶然がないと相手を楽にするだけである。今回にしても、コントロールや球種の豊富さにはそこそこ自信があるであろう野村にとって、ペンパートンには”ミスさえしなけりゃ問題ないさ”位の感じしか持たなかっただろう。むしろ去年の石井一のように、ミスは多いが球威がそれをカバーするというタイプのほうがまだ通用したと思う。そういう意味では二重の間違いと言ってもいいだろう。 スペースの都合で以下は次号にゆずるが、先日、NHKで再放送された「江夏の21球」を録画された方、ダビングさせて下さい。編集部の野沢氏あてで電話連絡をお願いします。もちろん、貸していただいたテープは責任をもってすみやかに返却させていただきます。よろしく。 (この項つづく) ※この募集は掲載当時のもので、現在は募集しておりません。 |
|||