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日本シリーズを振り返る(2)
勝負事にたら・ればは禁物、とはよく使われる言葉である。先月もこの欄において使わせてもらった。一般的には”あの選手がここで打っていたら”とか”エースが完調でシリーズに臨めていれば”といったような、結果が出てから仮定でモノを言う事の無意味さを戒める警句として解釈してよいだろう。例えば今年のペナントレースで近鉄は、中盤以降地力を発揮し7月以降42勝25敗3分、勝率6割2分7厘と快走した。優勝した西武は年間トータルで5割7分6厘、あのセ・リーグペナントレースを事実上ブッちぎった感の在るヤクルトすら6割1分5厘だったのだから、ほぼ半シーズンの後半戦のみの数字とはいえ、そのハイペースはわかると思う。一ヵ月程度ならともかく、本当の意味で地力のあるチームでないとこの数字は出ない。近鉄の敗因は、シーズン前半戦にエース候補と言われた高村・酒井、新外国人投手のラフィン・ミラッキ、更にローテーションの一角を期待された山崎や続投の要の佐野が軒並み不振で、大きく負け越したのが敗因であり、決して総合力において西武やオリックスに劣ったからではないと思う。しかしだからといって”近鉄がペナント当初より後半戦で見せた力を発揮できてたら”とか”(完投能力があり、当然在籍していたらローテーションの中心として活躍しているだろう)野茂や吉井がいれば”優勝したに違いない、という意見はたとえそれが真実に近くてもほとんど意味はない。それが一般レベルで言うところのたら・ればだろう。それはそれでよいのだが、筆者はそれとは別にいやしくもプロ野球の監督たる者はもうひとつの”たら・れば禁止”を肝に命じるべきだと思う。それは「作戦と単なる願望を取り違えたたら・れば(の禁止)」である。具体的に言うならば、たとえば第3戦の勝負どころ同点の8回裏での渡辺久の投入である。今期とうとうひとつも勝てなかった投手をこんな重大な、一点もやれない場面で出すという事は「渡辺久が全盛時の、いやせめてその80%の力でも出してくれれば」というコトなのだろう。しかしそれは作戦ではない。ただの願望である。願望でゲームが組み立てられるのならばそこらへんのオッサンにだって監督はつとまるだろう。結果オーライの影にかくれて目立たなかったが、同じ第3戦の6回にも東尾監督は同じような事をしている。やはり同点の二死二、三塁、一打でればほぼ試合は決定と思われる状況で代打の左の小早川に対し、最多ホールドを記録した橋本ではなくやはり今期絶不調だ
第4戦の先発投手新谷にしてもそうである。シーズン2勝2敗、防御率6.61という数字の投手を先発のマウンドへ送るという事は「新谷が去年で(3ケタ続けて二ケタ勝利、94年には最優秀防御率)の調子を取りもどしていてくれれば」という、やはりこれも願望である。仮にも「勝負師」と呼ばれた監督の投手起用法が「昔の名前で出ています」的な過去の実績のみをベースにし、あとは祈るだけ…とうのでは勝負師の名が泣くというものだろう。勝てると判断したならワンペアでも突っ張り、負けと思ったらたとえ手の内がストレートフラッシュでもニヤリと笑ってカードを伏せ、降りる。これが本当の勝負師ではないのか。どのゲームも中途半端に勝ちに行ったあげく、西口・潮崎・森・橋本といった有効なカードを使いきれないので勝負にならないのは明らかだろう。ショートリリーフが主な役割の橋本はともかくとしても、西口に次ぐ主力級の潮崎・森はわずか3〜5イニングしか登板がなかった。ただでさえ投手力に不安のあるチームが、頼るべきピッチャーをマウンドへ立たせられないのでは話にならない。勝敗もさることながら、試合自体が一方的になるのもあたり前だろう。プロとしてそれでは恥ずかしい。
結局東尾監督は自軍のなかで(1)誰が使える選手で(2)その選手をどのように使って(3)どういった試合をつくるか、という構想を組むことが出来なかった。シリーズはシーズンの延長だから普段着野球で…というような事が言われる音があるが、これは一面真実ではあるが全てそうだというわけではない。135試合と7試合の戦い方が同じであるはずがない。ここで言う普段着、というのは例えばそれまでイケイケの攻撃野球をして勝ってきたチームが、シリーズだからといっていきなりバッテリー中心の守り勝つ野球に着替えない、という事を言っているのだ。そんな突然服を着替えたって似合うはずはないだろう。全くの余談になるが、数年前、白夜書房・コアマガジンの創立二十周年パーティーがあり、各雑誌の編集長クラス以上は全員スーツの正装でお客をむかえていたが、日ごろ冠婚葬祭以外は正装には縁のない方々ゆえ、女性ライターに七五三と笑われていた当誌編集長をはじめとして皆が皆似合わない事おびただしく、結果めでたい祝賀会場は福の神も近づかないだろうが貧乏神も裸足で逃げ出す禁忌空間となっていた事があった。と同じであるということである(笑)。話もどって、そのような着替えはしないものの、135日分のおしゃれを7日に濃縮する、そんなドレスアップは当然行われる。まずはパーツの選択で、日ごろはかかせないお気に入りのアイテムでもここぞという時には使えないものがある。ヤクルト投手陣では野中と伊東である。両投手とも、長いペナントレースを乗り切るには間違いなく必要な選手であるり、またあった。しかし、日本シリーズでは最後まで出番はなかった。非情のようだが、勝利のためには当然だろう。東尾監督にそれが出来ていたであろうか。筆者ははっきり言って、今回のシリーズで西武が選ぶべき、又は選べる投手は西口・潮崎・橋本・森・デニー・石井丈・石井貴の7人だけだったと断言できる。それ以外では、敗戦処理も兼ねて左の杉山、ルーキーの谷中くらいか。もちろん、監督の目からみてシーズンでの実績はなくてもここへ来て絶好調、という投手がいるならば加えてもいいが、どうもそういう投手がいたとは思えない。シリーズである程度結果を出した杉山がそうだ、という人もあるかもしれないが、杉山はたしかに打たれなかったものの調子はシーズンと変わらず悪かった。前述のシーンにしても、辻を空振り三振に打ちとったのだが、最後の球は真ん中高目で、あまりの好球に一瞬流すか引っ張るか迷った辻が空振りした、というのが真相である。キレやスピードとともに、とても好調時の杉山の球ではなかった。
敗戦処理を含めないで投手7人、というスタッフでは一見更に不利であるように思える。実際、能力ある投手がいるのならばいたほうが有利にきまっている。しかし、現実にいない場合はどうするか。来月もう1回だけこのことを考えてみようと思う。 (この項続く)
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