僕が、言ってやる。でっかい声で言ってやる──FAとドラフト(3)
前号に続いて読売新聞の元旦の特集、長嶋監督と作家の赤瀬川準の対談「プロ野球の将来像」を取り上げる。前回引用した部分も、少なくともプロ野球人としてはかなり恥ずかしい内容だったが、今回引く部分は大変恥ずかしい、というか情けない。
(司会) 最後に長嶋監督の目指す野球と、巨人の今季の構想、抱負を。
長嶋 ベストは優勝の二文字に尽きます。昨年の反省点をあらゆる角度から分析して、教訓として生かすつもりです。戦う姿勢からいえば、地味に映るかもしれないが、基本的なスタンスはピッチャーを中心とした 守りの野球です。
しかし、すべてが地味かといえば、それは当たらない。例えば、一球の醍醐味というか、守っていながらそれが即、攻撃的野球に転じる。これが僕のスピード・アンド・チャージの中に集約されているんです。つまり、単なる守りのための守りではなく、守りながら常に攻撃的野球をスパークしていこうという、それが僕の野球の一番の魅力になりますね。
──少し長いが全文を引用させてもらった。解読にやや困難な文章であるが、それは置くとして語られている内容のおそまつさはそのまま長嶋の監督としての能力のなさを示していると言ってもよい。まず冒頭なのだが、驚くべき事にたった一年で長嶋は自分が理想と考え、行おうとした野球を捨ててしまう。この対談の前のほうの部分で、作家氏に去年目指した野球を問われ、前年(94年)は優勝したがハラハラドキドキのチマチマ野球だったので、豪快な攻撃力のあるチーム編成ということになった…と長嶋は答えているのだが、もうその考えはないようだ。信じがたい人間である。断言してもいが、現在のプロ野球界の監督、他の11名は全てそれぞれがそれぞれの野球体験の中でつちかってきた、それぞれの理想の野球を実践せんがために頑張ってると思う。もちろんその方法論ややり方に著しい力量差があるにしても、である。以前にも書いた事なので多くを繰り返さないが、最近の名監督の名を思い出してみるとそれはファンにもはっきりとイメージ出来る、○○野球と呼ばれるのにふさわしいものであった。広岡野球、野村野球、森野球、古葉野球…。強いチームをつくるために俺にはこういう方法論があるんだ、というちょっとやそっとじゃ揺るがない野球理論があるからこそプロフェッショナルな監督たり得たのではないのか。なぜこのような言わば”変節”が出来るのだろう。もう一つ言っておくならば、大体前段の認識があやまっている。94年の巨人は、決してハラハラドキドキのチマチマ野球で優勝したのではない。ペナントを通して、一点を取り一点を守るような野球で勝ち抜いたわけではない。前半は勢いに乗り大ざっぱな野球ながら勝ちをひろい続け、後半は当時このコラムでも書いた事だが長嶋のムスコびいきでベンチの雰囲気がシラけたら一気にメッキがはがれて地が出た…しかし前半の貯金でかろうじて逃げ切った。こちらが真相である事に異をとなえる人はまあいないだろう。だからこそプロ野球ペナント史上空前絶後の、一時は二位以下に10ゲーム以上の差をつけ独走していたチームが主力選手の故障も何もないのに突然負け出して、下から快進撃してきたチームなんか全くなかったのに混戦となる、という珍展開が見られたのだ。当時5割ラインを目指して地味な戦いを繰り返していた阪神がいつの間にか首位と3ゲーム差になり大阪系の新聞が大騒ぎしたが、自身はとんとピンと来なかったに違いない(笑)。
話が少しそれてしまった。長期放電後の長嶋は、就任早々機動力野球、スピード・アンド・チャージを打ち出した。ところが実際に行ったのはおよそ快足とはほど遠い面々にオープン戦で盗塁をさせた位で当然本番ではまるで通用せず世間の失笑を買ったのは御存知の通り。そして重量級打線での豪快野球を目指して失敗し、今度は守りの野球。社会民主党もびっくりのくるくる変わる政策転換である。百歩ゆずって政策転換が必要だとしても、それなりの裏づけがなければそれこそタワ言でしかないのは自明の理だろう。現在広沢がサード特訓中だそうだが、ファーストとしても決して上手とは言えなかった広沢が上手なサードになるのなら、プロ野球の守備なんて簡単なものである。愚かしい試みだ。それ以外でも、想定オーダーだがファーストの落合は守備範囲が狭く動きが鈍いし、キャッチャーの村田は頭が悪く肩が弱い(95年の盗塁阻止率は.286で12球団のレギュラー捕手中ブービー)。ライトの松井の守備もプロとは言えない。上手の部類に入るのは未知数の新外国人をのぞけば投手陣と川相だけである。この布陣で守りの野球とは大したものだ。まあ、口で言うだけなら日ハムがダイナマイト打線を名乗ろうが近鉄がスキのない野球を標榜しようが自由だが。こういう発言を聞くと、プロ野球にかかわる者としてむなしくなってしまう。わずか3年で選手が全て入れ替わり、なおかつ結果を出さなければならない高校野球の世界においてすら監督が、またはチームの伝統がしっかりしているところにはそれなりの顔が見えてくる。PLの、広島商業の、または蔦監督の。残念ながら筆者にはいまだに長嶋の顔が見えない。これが長嶋野球だ、というものがわからない。なんと味気ない事だろう。
逆指名ドラフトやFAで有望な選手を独占的にかき集め、半分以上は二軍で飼い殺しにしてまで他チームに戦力的差をつければ(1月号の当欄参照)どんな人間が監督をやろうが毎年、とは言わないがかなり高い確率で優勝する事は出来るだろう。野球の基本ルールさえ知っていれば、それこそ二子山親方だろうが矢部美穂だろうがビル・ゲイツだろうが。しかし、それは基本的には弱い大学野球部が近所の小学生の野球チームと戦って勝つのと同じ事で、本当の意味での野球の面白さは味わえないし大学生の野球の成長には何ひとつ寄与するものもない。ただ、勝敗があるだけである。わたしたちがプロ野球に求めるものもそれだけなのだろうか。
日本のプロ野球は、米国の”ベースボール”とは違うかたちではあるものの、それでも確実に進歩してきた。もちろん物見遊山でコンディションもまるで整ってはいない事を認識した上でであるが、大リーグのチームが来日しても、終戦直後のように十試合以上戦ってひとつも勝てないようなはっきりした力量差があるわけではない所まで来た。野茂クラスの投手ならば十分通用する事もわかった、そのようなレベルアップは何故できたか、ひとえに12球団の平等な条件下での切磋琢磨のためである。それぞれが同じスタートラインから出発し、お互いがより強くあろうと努力したからである。これがひいては全体のレベルアップに、なおかつプロ野球の隆盛につながった。以前にも書いたが、今の時代、例え一時(いっとき)ブーム的に盛り上がろうとも世界的レベルで問題にならないプロフェッショナルなエンターテイメントは決して根付かない。JリーグのTV中継数はまた半減した。世界ランク四十ン位の実力ではそれも当然だろう。
間違いなく日本のプロ野球は重要な岐路に立っている。それは史上最大の、と言ってもいいほどのである。 (終)
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