僕が、言ってやる。でっかい声で言ってやる──FAとドラフト(2)
読売新聞も元日からなかなかイキな紙面構成をしてくれる。プロ野球の将来像、と言うテーマで長嶋監督と作家の赤瀬川隼が対談をしていて、そこで長嶋は昨年散々笑われ、バカにされた”銭ゲバ野球”に対する批判に反論しているのだが…。少し引用してみよう。
長嶋 (前略)ところがマスコミの皆さん、すぐに三十億円打線とか、ややもすると批判的な論調が出たんで す。あえて反論はしませんが、ある程度金をかけなければファンに納得していただく野球は難しい。もちろん、ファームからコツコツ育成していくのが理想ですがね。
赤瀬川 もちろんそれが理想ですね。でも、それだけではやっていけない時代だということは、みんな知っているはずなんです。
(司会) 日本のスポーツ界は、まだアマチュア思考の残映を引きずっている。金をかけるのはフェアで はないとか。ファンが満足できるものを提供するのがプロビジネスだと思うんですが。
赤瀬川 当たり前の話ですよね。
長嶋 ファンの皆さんからおしかりを受けるかもしれませんが、まだマイナー思考でしょうねえ。メジャー 思考にはなってないですね。(後略)
……どうだろうか。”読売”という組織の中にいるために、思ってもいない事を言いお調子合わせに徹している司会者や、おそらく野球にあまりお詳しくなくて、広島というチームの名など聞いた事もないであろう作家氏の珍論はこのさい置くとしても、去年あれだけ恥をかいた長嶋が、全く反省、あるいは考え直しをしていないのがよくわかる。それどころか開き直ってファンに対して御高説まで垂れるのだから噴飯物である。今年の正月もまた不幸にして、モチをのどに詰まらせて亡くなったお年寄りの訃報をいくつか耳にしたが、その人たちもその時にこの記事を読んでいたら悲劇は起こらなかったであろう。噴飯よりランクははるか上のこの噴餅物のこの記事で。やはり正月の新聞は秋田魁より読売である。
それはともかく、大体この長嶋の意見は批判に対する反論にすらなっていない。三十億円かけた打線が有効に機能して、例えば85年の阪神のように豪快かつ爽快な攻撃野球を見せてくれたならば、銭ゲバという方法論は非難されるにしても、開き直りの反論、という形で論としては成り立つ。しかし現実にはそういう爽快な攻撃野球、ファンに納得していただける野球を見せてくれたのは衆目の一致するところ広島だけである。巨人ではない。論証学の基礎、というほど大ゲサな事ではないが、長嶋の意見”ある程度金をかけなければファンに納得していただく野球は難しい”という事は=”巨人はある程度金をかけたからファンに納得してもらえる野球が出来た”という事である。大笑い、以外のコメントをする事はむずかしい。広島はペナントには敗れたとはいえ、ファンを納得させる事は出来た。その爽快な攻撃野球に共感する事が出来た。野村や江藤をはじめ、前田の穴を感じさせないようなイキのいい若手が次から次から出てきて楽しませてくれた。95年の巨人の野球に納得できた人というのはかなり特殊な人だと思う。何に、なのか教えてもらいたいものである。話もどって、普通の人からみた95年のペナントレースの教訓は”金をかける事が全てでなく、お金をかけなくてもファンを納得させる野球は出来る”というものだと思う。これと先に掲げた長嶋の意見をくらべてみると、論拠も結論(ファンを納得させる事が出来た、という事)も間違っている事がわかる。論証学で、この二つが間違っている事を専門用語でタワ言と言う(笑)。反論と言えたもんじゃない、という事がわかるだろう。
作家氏も、少なくとも巨人に関してはある程度は知識もあるのだろうから、トンチンカンな珍説を披露する前に、まともに意見してあげたほうがいいのではないか。「でも、去年はその金をかけた打線でファンを失望させたじゃないですか」と。それが出来なかったばっかりに、次の司会氏の泥棒の居直りのような発言にも同意せざるを得なくなってしまう。前述したように、ファンや識者が銭ゲバ野球を笑い、かつ軽蔑したのは決してそこで見せられた野球が醜悪なものだったからだけではない。指揮官の能力や選手の育成、本当の意味でのチーム造りといったものを無視してペナントを金で買おうとしたからなのだ。かりに95年にあの銭ゲバ補強が当って巨人が優勝したとしても、喜ぶのはいわゆる応援団と呼ばれる、プレイを見つめる事よりも旗を振る事のほうが大事と考えるようなメンタルの人だけだったろう。例え巨人ファンであってもまっとうな人ならば、しょせん金でペナントを買ったんじゃねーか、という冷笑に正面から反論する事が出来ず恥ずかしい思いをする事になったのは間違いない。どう考えても、それこそ長嶋が自ら認めているように、ファームで鍛えられた新しい才能がどんどん出てきてスターになっていく、そんなプロ野球チームのほうがあらゆる面で上である事に異議のある人はいないと思うのだが。この司会氏の意見はコンテキストが違うのならば正に正論である。例えば西武がそうであったように、スカウト網を充実させて才能の発掘につとめ(現ダイエーの秋山はドラフト外の入団だった事で知られる)、なおかつ選手育成のための練習場の整備や器械を使ったトレーニング場の敷設に金を惜しまなかったような事を語っているのであれば。そういった事に反対して、例えば練習なんて設備がなくたってやる気さえあれば出来る、といったような精神主義が語られるのならば、正にそれはアマチュア思考の残映を引きずった考え方であろう。しかし、ここで語られている事は違うのだ。同じ”金をかける”でも、西武のような金のかけ方ならば小生のみならずほとんどの人は称賛こそすれ非難などするはずはないだろう。そういったコンテキストならば司会氏の意見に小生も賛成する。ところが、二軍に満足な練習場ひとつ用意せず(以前にもこのコラムで書いた事だが、つい最近まで巨人はちょっとまとまった雨が降ると水をかぶって使えなくなる多摩川河川敷のグラウンドしか二軍の練習場はなかった)、銭ゲバで他チームの選手を
やや話がそれてしまった。この対談には他にも抱腹絶倒の部分があり、前号で予告した内容と微妙のつながるところがあるので次号でもう少し触れるが、この回の冒頭に書いた”イキな紙面構成”とは,見開きの反対側が日産の、イチローを使った全面広告である事。三十億円かけた銭ゲバ打線まるごとと、ひとりのスーパースター・イチローの魅力を比較して、前者に軍配を挙げるものはまずいないだろう。どちらが客を呼べるか、と言ってもよい。
長嶋の強弁「金をかけなければ…」を鵜呑みにしてしまった人でも、すぐにそれがタワ言であると気がつかせてくれるのだから、やはり読売はいい新聞である。 (この項つづく)
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