日本のプロ野球が自己破産を申請する日(1)
たしか”美味しんぼ”だったと思う。目先の利益のために自然を破壊してリゾートホテルを建てようとする企業人は、確かに一時はその観光施設によって大きな利益を得るが、結局は自然が破壊される事によってより大きな損害をこうむる、しかもそれはその企業人のみならず国家的な損害である──なんて話があったのは。去年のFA及びドラフトの騒ぎを見るにつけ、小生はこの話を思い出してしょうがなかった。このままではプロ野球は確実にダメになる。それは現在”ウマくいった”とほくそ笑んでいるであろう企業人、今回のいびつなFA及びドラフト制度を実質的につくり出した読売巨人軍のナベツネ氏の頭の上にも同じように降りかかってくる運命である。はるか昔、氏が生まれる時に誰かが”のうみそ増量”のボタンを押してあげればよかったのだが、それもかなわなかった今、せめてライターとして出来る事は氏およびこの事態がまだよく飲み込めてない巨人(主に巨人ファン)に「よろこんでる場合じゃないぞ!!」という事に気がついてもらう文章を書く事ぐらいである。このコーナーで過去書いた事と重複する部分があるのは許してもらいたい。事態は深刻なのだ。
FA制度というのはいうまでもなく大リーグにその範を仰いだものである。選手に移籍の自由がなく、どんなに活躍しても球団の提示した条件を飲む以外にはやめるしか道がないのはおかしいではないか──という考え方自体はたしかに理がある。ゆえに、一種必然的にこの制度は生まれた。このことを知らない野球ファンはいないだろう。しかし大リーグではそのかわり、FAで選手を得たチームはその代償としてドラフトでの指名権を選手を放出したチームにゆずらなくてはならないのを知っている人はどの位いるだろう。細かいシステムを説明していくと長くなってしまうのだが、もし今年の日本だと、FAで山沖を阪神に放出したオリックスは、ドラフトでの一位指名権を阪神から与えられる(選手のランクによって何位の指名権を何名か、は変わる)。これによって選手の権利を尊重しつつチーム力のバランスを保つ事が出来るのだ。また、前の年にドラフト一位指名した選手の獲得に失敗したチームは、次の年にドラフト一位選手を2名指名する事が出来る。ドラフトの指名順序自体、奇数年はア、偶数年はナ・リーグの最下位から必ずはじまり、ワールドチャンピオンで終わる。出来る限りの戦力均衡化思想がここにある。それは「お金のあるチームが札束に物を言わせて強いチームを独占的につくる」事を防止するフェアなシステムであり、チーム間の極端な力格差をつくらないようにしてペナントレースを盛り上げる実利的なシステムでもある。70年代後半から80年代の頭にかけて、ヤンキースは金にモノを言わせてFAで大物選手をとりまくった。結果、ヤンキースは76年から81年までの6年間に4度リーグ優勝を果たした。ところがFA選手を獲得することでドラフトの上位指名権を失っていたツケが重くのしかかり、82年以降はずっと低迷、一度の優勝もない。チームの人気自体も落ちた、イキのいい、伸びざかりの若手というものがとんと見られなくなったからである。このように制度的に「金のあるもの勝ち」でないシステムを大リーグがつくりあげている理由は、自由競争という名の不公平さを彼らが良く知っているからである。具体的に日本のプロ野球にあてはめて考えてみよう。フランチャイズが日本で一番人口の多い都市にあり、スポンサーが量としては日本一の規模をほこるマスコミで、その集中的な宣伝力(TV・新聞・ラジオ等に露出できる)で人気の得られるチーム〜仮にGとしよう〜と、フランチャイズが日本で一番人口の多い都市にくらべると十分の一ぐらいの大きさしかない地方都市で、スポンサーもそこの市民組織が主体で外へアピールする手段は持ってないに等しいチーム〜仮にCとしようか〜が、同じ条件でチームづくりが出来ると考えられる人は、先の阪神大震災を”ああ、中村監督が辞めたのか”と理解してる人と同じくらいの物事に対しての理解力がある人である。普通に考えるとあらゆる点で差がつくと想像できるだろう。主力選手は大金をエサにFAでGチームに取られ、更にその穴を補強するべきドラフトでも一・二位は金を積んだもの勝ちの自由競争で有望な選手をGチームに取られる…。わたしたちの目の前で繰り広げられた光景はこんな光景である。これでCチームにGチームと同等に戦えるだけの戦力を保持せよとどうして言えるだろう。フェアな条件が与えられていないのに、戦力に基本的に大差がないからこそ戦術・戦略というものは生きてくるものであって、ドラフト制度が導入されて各チームの戦力が均等化されたからはじめてCチーム〜広島〜の”赤ヘル野球”が花開いたのである。機動力を重視したその野球は明らかにひとつのスタイルであり、日本のプロ野球の進歩に大きく貢献した事はまちがいない。しかし基本的なチーム力に大差があってはそのような作戦は当然のごとく無力である。例えば高校生野球のチームが巨人と戦ったとしよう。巨人の先発は斎藤。そうそう打てるわけない投手だし、ファースト落合、サードハウエルの守備を考えてバント攻撃に出たとする。戦術としてはたぶん間違ってないだろう。しかし、それで勝利を得られる事もまたないと断言してもかまわないであろう。かくして戦術や戦略といったものは意味がなくなり、ゲームの帰趨というものがあらかじめ読めるものになってしまったら、人々は何のためにグラウンドに足を運び、TV中継にチャンネルを合わせるのだろう。おそらくそれは野球ファンとしてはやや特殊なカテゴリーに属する人々、プレイには全く興味がなくストレス解消のために球場に騒ぎに来ている人々や、アウトカウントがいくつでチェンジになるのかも知らないでただひいきのチームが勝つ、という結果があればそれでいい人々のみが残るに違いない。そういう人達は野球の中身などはどうでもいいので、とにかく勝つチームのファンになる。金力豊かな。かくして、日本のプロ野球は本当のファンを失い、前述したような特殊なカテゴリーに属するファンのみつめかける東京ドームだけが虚しい繁栄をつづける事になる。
というのが少し長いタイムスパンで見た近未来図である。今のままなら間違いなくこうなる。ダイエー?。あれはいわゆる開店セールである。大出血覚悟の赤字セールというやつで、構造的に黒字を出そう、というシステムではないので今の攻勢はいずれ止むだろう。毎日バーゲンはやってられない。
面白いデータがある。ある情報誌が”去年もっとも印象に残ったスポーツ(選手・チーム・戦い)は”というアンケートを取ったのだが、ペナント最終戦優勝、宿敵西武を倒しての初の日本一と考えようによっては感動的な状況のはずの”巨人日本一”は”イチロー”の1/3しか票が集まらず、ベスト3にすら入らなかった。同じように最終戦までもつれこんだ88年の近鉄の戦いぶりが今でも語りつがれる伝説になっているのにくらべて何という白けぶりだろうか。理由ははっきりしている。今回のテーマでもあるのだがスペースが尽きた。次号でもう少し詳しく述べよう。 (次号へつづく)
▲バックナンバー一覧へ
▲トップページへ
|