なぜ西武は日本シリーズで勝てなかったか(1)
94年のプロ野球公式戦において、読売ジャイアンツは最後の7試合を5勝2敗でしめくくった──どんなに考えてもこれ以上の意味を見い出す事が出来ないセ・リーグ130試合目での決戦および日本シリーズだった。巨人が日本一強かった、などという結論はどうしたって導き出す事ができない。出てくるのはまるで負ける事を願って戦った中日や、なぜか全く戦意が見られず消化ゲームのように淡々と試合をこなしていった西武への疑問である。ひとつひとつ検証していってみようと思う。
まず、130試合目決戦だが、例によって長嶋の頭の悪い采配で前の試合でリリーフに投入されて調子を落としていた槙原は、初回から最低の調子だった。しかし、無死二塁─けん制死、一死一・二塁─併殺打(以上初回)無死一・二塁─バント失敗、けん制死、三振(以上二回)という草野球でもめったに見られない中日の拙攻ぶりはなんなのだろう。このイニングで当然アウトカウントは六つであるが、初回の併殺打と二回の三振以外は全て中日がプレゼントしたようなものである。当然の事ながら流れは巨人にかたむいて、結果は御存知の通り。しかしこれは中日と対戦していたのが他のチームだったとしても同じ結果、中日が負けていただろう。もちろんこの試合のみで優勝が決まったわけではないが、中日の自滅で巨人が優勝をひろった、という表現がより実態に近い。とても金取って見せる試合ではなかった。もちろんそれは巨人のせいではないのだが。次の日のスポーツ新聞を何紙か通して読んだものは、新聞拡販のきっかけになる、とはしゃぎまわっている某紙以外の記事がどことなく白けているのに気が付いただろう。それは面白くもない映画をコメント料のためにむりやり持ち上げている映画評論家の虚無感にも似たむなしさが記者の共通認識としてあったからである。強くもないチームを”リーグの覇者”として持ち上げなければならないため。もっとも、ではセ・リーグでどこが一番強かったのか、は難しい問題だが。
一方、日本シリーズは正に謎であった。一部の御用評論家およびデスクから要請があった人以外は(紙面構成上、例えば10人の評論家が日本シリーズの帰趨を占う場合に全員が西武有利をとなえたらまずい)ほぼ全員が西武有利を予想していた。当然といえば当然で、実力差は歴然としており、競馬でいうとG1クラスと900万下ぐらいの差はあった。西武ナインの当初の反応も「ヤクルトでないのが残念だけど…」(工藤)といったような明らかに見下した反応が多く玄人も素人も当事者も西武の優位は動かない、と見ていたはずである。実は筆者も4勝1敗で西武、と読んでいた。巨人の1勝は桑田・槙原・ジョーンズのうちの誰か(斎藤は投手生命にまで響くような無茶な使われ方をペナント後半でされていたのでのぞく)が一世一代といっていいような大好投を見せ、巨人が上げた1〜2点を守り抜く、そんなひと試合だけで後は力通り…そんな展開を予想していた。第2戦で槙原が西武を完封した試合が正にそれで、ここまでは予想通り、と思ったのだが。もっとも初回の失点、結果的には決勝点となった点の取られ方も失策ガラミで、西武らしくないといえば西武らしくなかった。この後の展開を暗示していたのかもしれない。
野村監督の語録で有名なものに、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というのがあるが、今回の負け方は不思議の負けありとしかいいようがない。強いてあげるならば油断なのかもしれないが。もともと見下していた相手に初戦11対0の圧勝。実はこの試合がもっとも両チームの実力差を正確に映し出したものだと思われるのだが、西武にしてみると「やっぱり…」と思ったであろうは無理もないところ。第二戦も負けはしたものの工藤の前に巨人打線は手も足も出ないで押さえこまれ、西武はやっぱり巨人は弱いや、と思っただろう。いったんゆるんでしまった気持ちはなかなか元に戻らず、なんとなくそのまま終わった…そんなところなのかもしれない。しかしそれだけでは説明しきれない無気力ぶりであった。
試合前に西武ベンチを取材した記者たちが一様に口をそろえるのが、西武の冷め方であった。普通日本シリーズという大舞台の前ともなると選手の間にはやる気と緊張感がみなぎり、顔つきからして公式戦とは違うものなのだが、今回はそういった雰囲気がまるでなかった。試合においてもである。ペナントレースで西武に敗れた他チームの監督たちが異口同音に語るのが”自分のチームが勝っている時でもジワジワとかかってくる圧迫感”というもので、策士のオリックス・仰木監督なんかはこのプレッシャーを意識しすぎて逆に勝てる試合をいくつも落としてるほど。ところが今シリーズで巨人ベンチはそういう圧迫感を全く感じなかったのではないか。見ているこちらにも伝わってこなかったし、事実そのような攻撃をしていなかった。点差・自己の能力・相手投手の能力や投球の傾向…といったものを考え、自分がいま何をしたらよいのか、を常に考えてプレイするのが西武の野球であり、相手に対する圧力の正体なのだが、今シリーズで西武の打者はただ来た球を漫然と打っていた(清原が桑田と対戦する時はそうでなかった。結果は清原の一方的な勝利だったのはみなさんご承知の通り。一方のチームの四番打者が相手のチームのエースをこれほど徹底的に打ちこんだ場合、普通は必ずその四番打者側のチームが勝つものなのだが、その点でも今回は異常なシリーズだったと言える)。送りバントも同じように何度も失敗していた。もちろん打撃だけではない。失策は巨人の倍の数があったし、守りのカナメ・伊東も不可解なリードが実に多かった。第六戦の八回裏、ペナントレース後半戦ではすっかり化けの皮がはがされ、特に右投手の時にほとんどといっていいほど使われなくなっていたコトーに打たれたホームランなど罰金もの。もちろん、伊東だけを責めるわけにはいかないが、不注意もはなはだしい。どうしたのだろう。
シリーズ前には(おそらくデスクの要請で)巨人の勝利を予想していたドン川上が、巨人が勝った次の日の新聞で”意外な結果になりましたねぇ〜”といきなり笑わせてくれたように、だれもがあっけに取られたこの結末。ある新聞では社会情勢にからめて”Jリーグに押されがちな野球人気回復を願うプロ野球関係者の願いと、景気回復を願う世論(巨人が優勝すると消費が刺激されるそうだ)を感じ取った西武ナインがヤル気を失くした結果の巨人優勝”と分析していて、これもなかなか説得力あるな〜と思うけれどもそれだけでもないであろう。ただどの媒体でも(某全国紙と某スポーツ紙はのぞく)なぜ西武が負けたかが主テーマになっているようだ。けだし当然であろう。引いて申し訳ないのだが、次号までにもう一度考えをまとめてみようと思う(この項つづく)。
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