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1994年8月号
written by 来素果森

いわゆる”危険球問題”を考える(2)

 先月号では、危険球騒動が起こるきっかけとなった5月11日のヤクルト─巨人戦の西村の村田への死球は、故意ではなくコントロールミスで起こった事である、という事を詳説した。だからといって当てていい、というものでは当然ないし、未熟さは責められるべきものではあるが、少なくともルール上は”与死球1”それ以上でも以下でもなく、ゆえに西村や野村監督があの時点でペナルティを受けなかったのは当然であった。問題は次の木田の西村に対する死球である。”あれが故意でなければ故意なんてない(野村監督)”。”そりゃあウチだっていきますよ。目には目をです(長嶋監督)”。と両者の意見が珍しく一致したように(笑)、木田の西村に対する死球は明らかに故意であり、報復である。ベンチからの指示でぶつけたのだろう。決して気が強いタイプとはいえない木田は当たっても一番実害がなさそうな尻の部分にぶつけた。ここからの審判の対応が理解に苦しむ。野球規則八・〇二(d)には死球の報復手段としての死球を禁止する項目があり、味方の打者がやられたからと、そのチームの投手が相手の打者にぶつけたりしたら、二度目のその投手が退場させられる事が述べてある。これが今回の木田のケースでなくてなんだろう。野村監督が主審に抗議したのも当然で、木田はここで退場させられるべきであった。しかし審判は抗議をしりぞけた。なせか。あえて審判が巨人びいきだからとは言わない。おそらく”さっきは西村がぶつけたんだから”という感情が働いたのだろう。しかし、試合を司るべく審判がルールから逸脱し、そのような恣意的な判断をしていてはいつまでたっても審判の権威などというものは確立しない。ここは毅然とした姿を見せて欲しかった。

 もちろんそれでは不公平ではないか、という意見はあるだろう。しかし審判は法の執行者であり、立法者ではない。仮に法に不備があったとしてもそれを補う立場にはないのだ。だからあの場面では木田の退場をさせるしかなかった。そして、もしその処置に問題があるとしたら、機構が新たな法を創る。又は手直しする。これ以外取るべき方法はなかった。残念な対応だった、と言わざるをえまい。
 もう十年一日の如く言われている”審判の権威の確立”。具体的な方法論としては、

(1)審判技術の向上によるミスジャッジの撲滅。アウト・セーフにせよファウル・フェアにせよストライク・ボールにせよ判定が正しくなければ尊敬されるわけがない。例えば投手からなら”俺は入ったと思ったが奴がボールと言うのなら少し外れてたんだろう”と思われるような信頼関係を持たれるようでなければ。米大リーグの審判は選手と同じく下部リーグ(3A〜ルーキーリーグ)からのたたきあげで、選手がそうであるのと同じく沢山の競争者の中から選びぬかれて上がってきているので、技術的にも安定しているし選手からも一目置かれている。組織形態の違う日本でそれを求めても仕方がない。正しいジャッジメントの繰り返しで信頼を得ていくしかないであろう。

(2)公正中立な判定。野村監督ではないが、セ・リーグでのいわゆる巨人びいきの判定は昔から目に余るものがある。セの巨人を除く5球団の選手100人に聞けばおそらく99人以上がそう答えるだろう。具体的な証言もクサるほどあるが、いわゆる巨人ブランドなど全く関係のない、現役バリバリの大リーガーだったホーナー(元ヤクルト)が自著「地球の裏側にもう一つ別の野球があった」で語っている、”ベースボール(大リーグ)”と”野球(日本のプロ野球)”の違いの中で、決して怒りながらではなく冷静に「ベースボールの審判のジャッジメントとは公正をモットーとするものであるが、野球のそれは巨人有利の判定をモットーとするものである」と書いているのは面白い。断っておくがホーナーは対巨人戦で打てなかった腹いせで書いているのではない。対巨人戦通算成績で好成績を残した上で淡々と振り返っているのである。具体例を挙げながら。更にクロマティ(元巨人)がやはり自著「さらばサムライ野球」でそれを認めているのもつけ加えておこう。このような事実がある限り、信頼関係なんてお笑い草である。根の深い問題であるが。

(3)法の執行者たる毅然とした態度。前半部分で書いた事の主テーマでもあるが、その他でも明らかな遅延行為や抗議権のない選手・コーチの不当な抗議など、審判がもっと主体性を持って対応すべき問題は山積している。正当な権威を持ってゲームの進行に努める事が重要である。

 といったような点が挙げられよう。しかしながら小生がプロ野球観察をはじめて二十年近い年月が流れたが、(1)(2)(3)いずれもめざましい進歩があったとは言いにくい。(1)はほんのわずかな進歩、(2)は退歩、(3)は相対的には一番進歩がみられるもののまだまだ、といったところである。Jリーグの追い上げによる球界改革の声がかまびすしいが、審判の育成・教育のあり方も一考されるべきではないか。皮肉な事にJリーグにも共通した問題であるが。

 やや審判に対する注文の部分が長くなってしまった。その後のグラッデンに対するブラッシングボールだが、これもぶつけようとして投げたわけではないのも明白である。前述の八・〇二(c)及び(d)でのペナルティ、退場および制裁金・出場停止処分を受けるためにわざわざ狙う馬鹿はいない。西村の言葉通り「雨によって滑ってしまった」のが本当のところであろう。もっとも、元々の村田の時から勘違いしている巨人ベンチがそう取るわけもない。かくして乱闘になり、グラッデン・西村・中西の退場を含む大騒動になったのはみなさん御承知の通り。

 というのが一連の出来事の真相であり、非はヤクルト・巨人・審判それぞれにある。頭部に死球を与えてしまうような投球をした西村はそのプロにあるまじき技術の未熟さ、ヤクルトベンチはそのような投手を使った責任。ルール違反の報復死球を与えた木田と指示した巨人ベンチ。野球規則の正しい運用をしなかった審判。比較するならばやはり審判に一番大きな責があるだろう。西村が最初に死球を与えた時点で両チームベンチにルールの確認・徹底をしておけばこのような、およそ後味の悪い結末にはならなかっただろうから。 (この項つづく)

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